神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。詩編46:1
御言葉が直接あなたの心に触れ神の平安が宿り愛と喜びに満ちた日々をお過ごしになられますように、お祈りいたします。(初心者で未だ皆様の愛の証言を受け取る方法が分かりませんが、主が多くの奇跡を起こして居られると信じて居ります。GBY!)
苦しみにあずかることを喜びなさい
11月 14, 2012
いえすより
病気の時の励まし
イエス、預言で語る
あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を驚きあやしんではならない。むしろ喜びなさい。わたしはこれらの苦しみを通して、あなた がたの信仰を精錬しているのだから。1 1ペテロ 4:12, 13. :12愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、 :13むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
人生において砕かれ、造り替えられ、謙遜にさせられることは、決して喜ばしいものではなく、むしろ悲しいものと思われるが、後になれば、それによって鍛え られる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。2 ヘブル 12:11. すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせ るようになる。「悲しい」という言葉を辞書で調べると、それらの砕かれ造り替えられ謙遜にさせられる過程がどういうものであるかが、こと細かに説明されて いる。それらは「きわめて深刻で重大な」「過酷な」「この上なく悲痛な」ものなのだ。身に覚えがあるだろうか?
本来ならわたしを賛美する理由など何一つ見つからないような悪い状況に陥った時には、たとえ涙を通してでも、その困難さゆえに喜んでほしい。それらを通し て、わたしがあなたの人生で素晴らしいわざをするとわかっているのだから。そうすれば、あなたを通してわが栄光が表れる時に、あなたは「喜びにあふれる」 だろう。3 1ペテロ 4:13. むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
あなたが無力な時、わたしの力はあなたの弱いところに完全に表れる。4 2コリント 12:9. ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに 宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。これは強力な力であり、またわたしへの大いなる依存のわざでもある。あなたは忍耐という術を習得するため に学んでいるのだ。
あなたがたがおこなった義のわざによってではなく、わたしはただ憐れみによって、この火のような試練からあなたがたを救い出す。5 テトス 3:5. わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。あ なたがわざわいを耐え忍び、それらにもかかわらずわたしへの愛や信頼や、わたしがすべてをうまく取り計らうという信仰を宣言するなら、わたしはそれによっ て栄光を受ける。6マルコ 7:37. 彼らは、ひとかたならず驚いて言った、「このかたのなさった事は、何もかも、すばらしい。耳の聞えない者を聞えるようにしてやり、口のきけない者をきける ようにしておやりになった」。
「これらの人はみな、まだ約束のものは受けていなかったが、信仰をいだいて死んだ」7ヘブル 11:13. これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であるこ とを、自ら言いあらわした。という節のことを考えてみなさい。わたしの腕の中に迎えられた子どもたちの中には、解放やいやしの約束を与えられていたもの の、地上ではそれらの約束の成就を目にしなかった者たちがいる。しかし、彼らは信仰を抱いて死んだ。わたしが約束したことを、また成就することができると 信じていたのだ。8 ヘブル 11.下記わたしは自分の約束を果たし、彼らに究極のいやしを与えた。そして天でわたしと再会し、わたしが約束を果たしたことや、「死に至るまで忠実」 だったがゆえに自分たちがどんなに大きな報酬を受けるかを見た時、彼らはどんなに喜んだことだろう。9黙示録2:10. しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たち を教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。
信仰には、一部の人が考えているように、常に輝かしい感情や素晴らしい感覚が伴うとは限らない。それには、わたしの言葉を額面通りに信じることを要する。信仰とは、わたしの誠実さや正直さに依存することだ。
信仰の種は、御言葉というカプセルに包まれている。「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい。」10 マタイ 26:39. そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、 わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。 あなたが病気の時、信仰は涙を通してこう言う。「わたしは神の測り知れない力が神から出たものであって、わたしから出たものではないことがわかるよう、む しろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」11 2コリント 12:9; 4:7. 12:9ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キ リストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 4:7しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない 力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。そのようにしてこそ、「四方から患難を受けても窮しない。途方にくれ ても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない」12 2コリント 4:8, 9. :8わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。 :9迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。という姿勢が保てるのだ。
あなたはわたしの宝だ。わたしはあなたを見捨てたり、忘れたりはしない。むしろあなたが通っているこれらすべての経験において、あなたと共にいよう。
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賛美の歌の内に心を引き上げなさい。そうすればわたしは、あなたのなえた手を持ち上げ、弱くなっている膝を強める。13ヘブル 12:12. それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。 つらい時期にさしかかった時には、自分がどんな歌を歌えるかについて考え、それを歌い、口ずさみ、耳を傾けなさい。
病気で気分が優れない時には、精神的、心理的、あるいは霊的な活力を要するどんなことをするのも難しいものだ。しかし、わたしを賛美する何らかの理由が常 にある。たとえたった一言であったり、涙を通して賛美するとしても、あるいは自分が心から賛美していないと感じたとしても、とにかくわたしを賛美してほし い。そうすれば、あなたの霊の内で何かが成し遂げられ、あなたの気持ちや、痛みや不快感への対処の仕方に違いが生じることだろう。
信仰は必ずしも気持ちや感情の問題ではない。その兆候は物質面にも表れ、わたしはそれらの兆候を時々あなたに示しはするものの、そのような「兆候」は当て にならない。それらは常にそこにあるわけではないからだ。信仰の表れを目にするのは素晴らしく、それには感謝してしかるべきだが、大いなる誉れはそのよう な表れを目にすることがなくても、信仰を保つ人々に与えられる。「見ないで信じる者はさいわいである。」14ヨハネ 20:29. イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
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発明家や探検家や世界を変える人々が、危険を承知であえて一歩を踏み出し、既知の世界を越えた領域に入るのをいとわないように、あなたが大変な困難のさ中 で、たとえ心でその理由を理解したり把握することができなくても、それでもわたしに信頼することをいとわないなら、わたしに大いなる栄光を帰すことにな る。
体が弱く傷ついたままだったり、病気が治らなかったとしても、なおわたしのいやしの約束を信じるには、大いなる信仰を、物質的な現実をはるかに超えた信仰を要する。あの未知の海の真っ只中で、激しい嵐や恐ろしい危険に翻弄されている、そんな時にこそ奇跡が起こるのだ。
わたしがどのように状況に働きかけるかを何もかも知っていたなら、信仰を持つ必要などあるだろうか? 自分にはほとんど、あるいは全く信仰がないように感 じ、自分の船が波に破壊されて沈みかけていると感じても、しがみついて信じ続けなさい。あなたはこのテストから、何らかの形でより強くなって出てくるだろ うから、見ていなさい。あなたは沈んだりはしないと約束する。
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わたしの力はあなたの弱いところに完全に表れる。そのことに気づき、また経験する方法は、時折弱くなることをおいて他にはない。15 2コリント 12:9. ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに 宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
わたしの言葉の中には、この原則を述べた事例がある。それは、自分が弱く感じたり、弱さを経験した人々の話だ。アブラハムの体は「死んだも同然」16ヘブ ル 11:12このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。だったと 言われており、また使徒パウロは熱のこもった口調で、「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれる だろうか」17ローマ 7:24. わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。と叫んだ。必死さはしばしば、奇跡ををもたら しわが意思を成就するために必要な要素なのだ。
わたしは地上の生活の困難が戦いにもなりうることを知っている。わたしも地上の生活を経験したからだ。わたしの体が地上で教えをのべ伝えた日々にどんな状 態だったかについて、聖書はあまあり多くを語っていないと言うかもしれない。しかしちょっと立ち止まって、わたしの体の状態と、わたしが天の大広間で過ご していた時の体の状態とを比べてみるなら、地上で過ごした日々にその「格下げ」を通ったおかげで、あなたがたの弱さに共感できるようになったのも、うなず けることだろう。聖書には、わたしが激しい叫びをもって父なる神に呼ばわり、また恐れたと書かれている。18 ヘブル 5:7. キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞 きいれられたのである。わたしには、あなたがこの病気で経験している試練が理解できる。
わたしはすべての歩みにおいてあなたと共にいて、あらゆる試練や闘いを乗り越えるに十分な恵みを与える。時にはほんの「少しの助け」19ダニエル 11:34. その倒れるとき、彼らは少しの助けを獲ます。また多くの人が、巧言をもって彼らにくみするでしょう。 しかもらえないように感じることもあるだろうが、わたしの恵みと助けは、あなたを支え助けるのに十分であると約束しよう。
吹き付ける逆境の風に面しても、わたしがあなたを助けて乗り越えさせるのを見守るなら、それがどんなに素晴らしい信仰のテスティモニーになるか、考えてもみなさい!
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1 1ペテロ 4:12, 13. :12愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、 :13むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
2 ヘブル 12:11. すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
3 1ペテロ 4:13. むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
4 2コリント 12:9. ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
5 テトス 3:5. わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。
6 マルコ 7:37. 彼らは、ひとかたならず驚いて言った、「このかたのなさった事は、何もかも、すばらしい。耳の聞えない者を聞えるようにしてやり、口のきけない者をきけるようにしておやりになった」。
7 ヘブル 11:13. これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。
8 ヘブル 11. :1さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。 :2昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。 :3信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るの である。 :4信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからであ る。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。 :5信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかし されていたからである。 :6信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるは ずだからである。 :7信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰に よって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。 :8信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。 :9信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。 :10彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。 :11信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。 :12このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。 :13これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者 であることを、自ら言いあらわした。 :14そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。 :15もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。 :16しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事 実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。 :17信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。 :18この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。 :19彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。 :20信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した。 :21信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。 :22信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。 :23信仰によって、モーセの 生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。 :24信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、 :25罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待さ れることを選び、 :26キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。 :27信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。 :28信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。 :29信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をと おるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。 :30信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた。 :31信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。 :32このほか、何を言おうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろ う。 :33彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、 :34火の勢いを消し、つるぎの刃をのがれ、弱いものは強 くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。 :35女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されること を願わなかった。 :36なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。 :37あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦し められ、 :38(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。 :39さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。 :40神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない
9黙示録2:10. しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。
10 マタイ 26:39. そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
11 2コリント 12:9; 4:7. 12:9ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キ リストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 4:7しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない 力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
12 2コリント 4:8, 9. :8わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。 :9迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。
13 ヘブル 12:12. それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。
14 ヨハネ 20:29. イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
15 2コリント 12:9. ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
16 ヘブル 11:12このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。
17 ローマ 7:24. わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
18 ヘブル 5:7. キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。
19 ダニエル 11:34. その倒れるとき、彼らは少しの助けを獲ます。また多くの人が、巧言をもって彼らにくみするでしょう。